臆病な、なまいき子猫 / 尾花ゆきみ
 私は、独りきりでいるのが好き。
 彼は、そのことに薄々気づいているみたいだ。なぜなら、私のことを深く愛しているから。私の胸のうちなら、手に取るようにわかっている(つもりらしい)。私は、彼に深く愛されていることを知っている。知っているのに、応えられない。それは時折、彼が怖くなるから?彼からの電話を素っ気なくあしらう私は、倣慢でわがまま。彼は言う。
 愛の上にあぐらをかいた、なまいき子猫。
 猫はあぐらなんか、かかないわ。
 でも、なぜだろう。夜通し起きて、ミントの葉を浮かべたホットチョコレートを飲みながらピアノを前にしていれば、世界は自分のものなのに、明け方にやって来るこの気持ち·····。陽が昇る前、慌ててブラインドを下ろしてベッドにもぐり込む。私が愛するのは、真夜中。そして、青く澄み、あらゆる音がその透明な空気に吸い込まれてゆく、夜明けの直前。太陽は見たくない。だからブラインドを下ろす。

 朝の小鳥のさえずりのかわりに、学校帰りの少女たちの甘く甲高い声の輪を聞いて、目を覚ます。彼女たちと私は何一つ変わらないような気もするけど、本当は100万光年も離れていることにすぐ気づく。
 ようやくべッドから這い出し、薔薇色のキルティングのガウンを羽織ったまま、お湯を湧かし、お茶を煎れる。熱くて濃いミルクティーを飲んでいると、気持ちの霞みが少しづつ消えてゆく。
 ところが、独りきりでいるのが好きなはずなのに、時計が4時を回ると、私はもう自分と向き合うのがいやになっている。書きかけの詩を放り出し、ピアノには触りもせず、あてもなく外へ飛び出す。
 いつの間にか外は小雨。ブルーのレインコートを着て、地下鉄に乗る。地下鉄は、湿気を含んた埃の匂いでいっぱいだ。雨の日の地下鉄の匂い。向かいに座った若い男は全身黒づくめで、サングラスをかけたままヘッドフォーンで耳を塞いでいる。その男を見た途端、なぜか私は不安と哀しみに胸が締めつけられる。次の駅でいきなり飛び降りると、別の路線に乗り換えた。
 あてもなく出たつもりなのに、私はやっぱり彼の所へためらいがちに向かっている。階段を上がって地上に出ると、雨は止んでいた。空気はしっとりしていて、細い散歩道には雨に濡れそぼったつる薔薇とエニシダ、そして開き切ったチューリップ。
 こんな突然の、私のわがままな来訪をあなたは拒んだことはない。拒むどころか、甘いキスと暖かいコーヒーで、うつむき加減の私をやさしく迎え入れる。そしてささやく。
 わがまま(Selfishness)なのは、純粋(pure)だから。
 それって、皮肉?
 夜明け前の、そして地下鉄でのことなどなかったように、私はそう言い返す。
 まるで山の頂きに閉じ篭っていたかのような私を連れ出し、多くのものを見せてくれたのは確かにあなた。でも、私の奏でるメロディーは私のもの。私が歌う詩は私のもの。私は、あなたのもの?私は臆病(Shyness)過ぎる?
 なんて言ったらいいのか·····。私は自分の気持ちをうまく言葉にできず、今にも泣き出しそうな気持ちをこらえて、お喋りを続ける。
 ねえ、枯れる寸前のチューリップって、どんなだか知ってる?しなだれた茎が地面に今にも届きそうで、うなだれた首はゆらゆら遊んでいるの。開き切ったチューリップは、とてもよい香りがするわ。小さな女の子みたいな顏して、ほんとはすごくエロティックなの。ずるいと思わない?

 少女のままでは、いや。子ども扱いされるのも、嫌い。でも大人の女にもなれない。
 求めながら拒絶してしまう。独りきりの部屋から無防備に部屋を飛び出し、私は言葉を失う(死んでしまう)。だから、失った言葉を埋めてゆくために(生きてゆくために)、私は私の音を紡ぐ。


1993年発売当時の「SHYNESS」のブックレットより転載



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